労働問題
労働問題とは,職場に関わるトラブル全般を指します。
内定取り消しや残業代未払や有給休暇の不正な取扱,賃金・賞与・退職金の不払いや配転・出向・転籍の扱い,セクハラやパワハラ,育児・介護休暇の取得や解雇,さらには過労死・自殺など,労働契約は締結段階から解消されるまで,トラブルとなるケースが多々見受けられます。また,近時マスコミ等で大きく報道されるように,派遣労働者の雇い止めの問題は,増加・深刻の一途を辿っています。
当事務所は,労働者の方々の正当な権利を擁護すべく,労働問題に対して積極的に取り組んでまいりました。
労働者にとって,労働は生活の糧を得る手段であると同時に,本人の誇りと尊厳に関わる極めて重要な問題です。
労働問題でお悩みでしたら,是非一度当事務所までご連絡下さい。
費用
組合関係事件
組合によっては,審問・打ち合わせごとの日当方式で弁護士費用に関する定めのある場合がありますが,その場合はその定めに従います。
特に定めのない場合
着手金 33~66万円(税込)程度
報酬金
解決の結果に応じて,着手金と同程度を目安としながら,金銭給付を得られた場合は,10~16%程度+消費税の報酬金をいただきます。
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翔の事件簿
トステム・日系ブラジル人派遣労働者大量解雇事件 和解
平成22年10月21日,土浦地方裁判所において,ある労働事件が解決を迎えました。
本件は,アルミサッシ等を製造する大手製造会社・トステム株式会社が派遣契約の解除を通告し,一方的に解雇された派遣労働者の日系ブラジル人100人のうち32人が解雇処分の無効等を争い,派遣先のトステム及び派遣会社のサンワーク株式会社を相手に雇用契約上の地位確認等の請求をした事件です。原告らは,トステムで働くことに誇りと生き甲斐を持ち,10年以上にもわたってトステムで勤務してきました。
原告らは,すでに日本で家庭を持ち,もはやブラジルに帰国することもままならない一方,安定した再就職先も見つからず,先の見えない不安の中,トステムらの責任を追及するために裁判を続け,ついに和解を勝ち取ったのです。
和解の内容は,派遣元サンワーク,そして派遣先トステムの責任を前提としたものでした。
この和解で勝ち取ったものは,金銭だけではありません。原告らの,労働者としての誇りを勝ち取ったのです。
人生の大半は働く時間にあてられます。人は,働くことで自らの生活を築くとともに,自身の人格を形成していきます。
働くことは,生きることでもあります。
正規労働者であろうが,非正規労働者であろうが,このことに違いはありません。
本件で原告らが勝ち取った和解が,正規と非正規という身分差別を是正し,この国の未来を支える全ての方が誇りをもって働くことのできる世界を創るための一歩として刻まれることを,願ってやみません。
(弁護士 長瀨佑志)
常総学院小仁所教諭差別事件の勝利解決
老人ホームへの出向命令
高校野球で有名な常総学院で,教職員組合の委員長をつとめる小仁所厚志先生に対して,2004年4月1日,突然老人ホームへの出向命令が出されました。
常総学院では,2003年8月,理事長の「ライバル校に子弟を入れている教職員は辞表を出せ。」という発言に不安を覚えた小仁所先生を中心に組合が結成されていました。
出向命令は組合に対する不当労働行為,と茨城県労働委員会に救済申し立てをしました。
「合宿所」への隔離
小仁所先生は,学校への出勤を続けましたが,学校側は自宅待機命令,続いて5月には合宿所和室を勤務場所として生徒との接触を禁止する,という命令を発しました。これに対しても救済申し立てを行い,「守る会」も作られてたたかいが続けられました。
名誉毀損の訴訟提起
その間,合宿所勤務を「座敷牢」と表現した新聞の見出しをとらえて,学校側が小仁所先生に対して名誉毀損の民事訴訟を適し,小仁所先生も不当な訴えであるとして反訴を提起する,といった事態も発生しました。
職場復帰へ勝利和解
労働委員会では,証言した理事に対し,公益委員が杜撰な出向命令の出し方に苦言を呈する場面もありました。
和解交渉を経て,2005年6月に,①1年以内の「研修期間」中の寮勤務を経て,教壇復帰させる,②寮勤務中も勤務条件は他の教諭と同等とする,③民事訴訟を取り下げる等の勝利和解が成立しました。
(弁護士 谷萩陽一)
江戸川学園取手高校事件
江戸川学園取手高等学校では,2006年4月に現在の校長が就任して以来,労働組合を敵視した発言を繰り返したり,組合員に対して賞与を差別支給するといった不当労働行為が続きました。同年8月に組合が茨城県労働委員会に救済申立を行い,2008年12月には救済命令が出され,学校はこれに従い,賞与の差額分は支払われました。さらに,組合では,その後の賞与差別と組合員を部活動の顧問からはずすといった仕事差別について追加の救済申立をし,この事件について,審理終結後に和解交渉が行われ,7月13日に労働委員会で,基本的には組合の申立を認める内容の和解が成立しました。
(弁護士 谷萩陽一)
鹿島学園事件勝利和解解決
鹿嶋市にある私立鹿島学園高校をめぐる不当労働行為事件について,その主な紛争が2004年9月,和解で解決しました。
本事件は,学園の方針に反するとして組合員である先生方のクラス担任を外したり,授業持ち時間を大幅に減らしたり,さらには賞与(ボーナス)を極端に減らしたりして攻撃を加えてきたものです。組合は,当初団体交渉を申し入れ,できる限り話し合いで解決しようと努力してきました。しかし,学園理事長は誠実に対応しようとせず,やむなく2001年9月に組合が茨城県地方労働委員会に対して,不当労働行為を理由に救済申立を行ったのです(その後もそれぞれの賞与差別などを問題にして四次まで申立。)
3年にわたり地労委で審理されてきましたが,2004年2月には,第一次から第三次申立に対して,組合の主張をほぼ受け入れて,学園に,クラス担任外しや授業時間の削減をして組合委員の不利益取扱をしてはならないとの命令が出されました。また,賞与についても,他の教職員に支払われた平均支給月数との差額を支払えとされました。
学園は,一方ではこの命令に不服申立などをせず受け入れるような姿勢を見せながら,他方で残っている事件の審理で争う姿勢を見せていました。しかし,学園のこのような姿勢は組合や社会から強い批判を招き,とうとう2004年4月に,学園側から和解の申し入れがなされ,和解が成立したものです。
和解内容は,当然のことながら,学園が地労委の命令を誠実に履行することを確認した上で,組合員であることを理由にクラス担任や授業持ち時間の決定にあたって,不利益取扱をしないとし,さらに授業持ち時間などの決定については教科会における民主的な話し合いによって決めるよう指導を徹底するとしています。また,賞与につついても,学園は,平均支給額との差額を支払うとしており,勝利和解の内容となっています。
このように,この和解成立で,組合の主張の正しさが改めて明らかとなりました
今後も皆様の力強い支援をお願い致します。
(弁護士 五來則男)
日製事件が全面勝利解決へ
日立製作所及びその関連会社日立エンジニアリングサービスと日立工機の労働者が組合活動を理由にしてなされた賃金・昇格差別の是正を求めて茨城地方労働委員会に申し立てていた事件は,日立製作所本体は2000年9月12日,関連会社は同年10月31日,それぞれ「和解協定書」を調印してすべての争議を一括して解決しました。
その和解の主な内容は,
双方は,全ての争議を一括して全面的に解決する。
会社は,2001年8月21日をもって(関連会社は2001年1月から)賃金及び職群等級を改定する。
会社は,解決金を支払う。
というもので,内容的には全面勝利といえるものでした。
特にこの和解にあたって注目すべきなのは,まず,たった一度の残業を拒否したことで解雇された田中秀幸氏の解雇争議,日立中央研究所,日立東京,日立愛知,日立男女差別という提訴時期や地域,課題の違う各争議と一括して解決されたことです。
第二は,提訴や申立をしていませんが,会社に対して差別是正を求めていた労働者も対象者に入ったことです。
このような成果が得られたのは,労働者に対する会社の理不尽な行動を許さないという信念をもった争議団の皆さんとそれに連帯する各支援者の方々の闘いが会社を追い込んだことによるものです。
今まで中央研究所(1996年),東京(1997年),愛知(1998年)の各事件で,差別是正を命じる救済命令が勝ち取られ,茨城においても労働委員会で命令が出せるところまで労働者側が十分に立証を積み重ねた状況にありました。
1999年3月には日立争議支援中央連絡会が結成され,全都道府県一斉宣伝・要請行動や日立本社包囲デモなど多彩な闘いが行われてきました。
このような実績を背景にしてこの勝利和解となったものです。
現在,企業内では経営理念の軽視,リストラの名目での企業再編を背景として,労働者の雇用をはじめ各権利が脅かされています。そのような中で,今回の勝利和解は,労働者の権利を守ろうと闘っている各地の労働者を力づけるものとなりました。
(弁護士 五來則男)
ある解雇事件(労働審判)
とある福祉職場に勤務する職員が,職場の労働条件について改善を申し入れたところ解雇された。私は,つながりのある労働組合に協力を依頼し,当事者を一般労組に加入させ,団体交渉で早期解決を目指すことに。しかし,使用者側が譲歩せず,やむをえず,労働審判を申し立てた。
労働審判の中では,使用者側の解雇が不当であることが証拠上も明らかとなり,交渉段階では決して引き出すことができなかった条件も使用者側から提示された。結局,職場復帰は当事者も希望しなかったこともあり,かなわなかったが,一応納得のいく金額で和解が成立した。
事件終了後,ささやかながら祝勝会を催した。
(弁護士 丸山幸司)