脳血管バイパス医療過誤事件の解決
日立製作所の社員であった53歳のMさんは、毎年日製日立病院で会社が行なう定期健康診断を受けていましたが、2000年の健康診断の際に、 たまたま脳ドック受診を進めるポスターを目にして、脳ドック検査を受けたところ、脳血管に狭窄が発見されました。そして医師から今後脳梗塞が発症する虞れがあると指摘され、 その予防のため脳血管をパイパスで繋ぐ手術(左浅側頭-中大脳動脈吻合術)を受けた方がよいと勧められました。そこでMさんは、同医師の言葉を信じて、同年12月に上記バイパス手術を受けたところ、手術手技の未熟さや不手際等の事情から、手術中に血流を遮断してパイパスを繋ぐ時間が予想より大幅に長くなり、術後に脳梗塞が発症し、失語症等の重い後遺障害が残るという医療事故が発生しました。
その後Mさんはリハビリを重ねて職場復帰に至りましたが、後遺症のため仕事らしい仕事は与えられず、結局その意に反して会社を退職させられ、本人も家族も重い後遺症に苦しんでいるにもかかわらず、会社や病院は何の補償もしようとしませんでした。
このため愛社精神の強かったMさんでしたが、さすがに耐えかねて日立製作所に対して損害賠償を求めることを決意し、当事務所に相談に来られたのが事件受任の始まりでした。
この医療事故は、脳の深部にある血管と脳表にある血管を顕微鏡の下で繋ぐという想像し難い手技にミスがあったか否かという点が最大の論点でした。
Mさんは、2003年12月に自ら民事調停の申立をしていたため、途中から私達弁護団が受任してこれを引継ぎ、調停が不調となったため、2005年10月に訴訟を提起しました。
そして訴訟手続きの中で、互いの主張がほぼ出尽くして、これから執刀医師の尋問や鑑定等の本格的な立証活動に入る直前になり、裁判所から和解勧告がありました。
私達弁護団は、立証の困難な事件であったため、低額な和解金が提示されるのではないかと不安を抱きましたが、医学文献等に基づき詳細で説得的な主張を展開していたためか、裁判所の和解提示額は、請求金額の7割という予想外の勝訴的和解案でした。
そして被告側にも、Mさんの思いが通じたのか、裁判所和解案を受諾してくれ、尋問等の立証活動を経ずに、提訴後2年が経過しようという2007年9月に、勝利的和解が成立するに至りました。
医療過誤事件の中でもとりわけ専門的な脳外科分野の事件について、これほど短期に事件解決に至るのは珍しいと思われます。未破裂脳動脈失敗手術事件では、提訴後最終解決までに7年半を要しましたが、その訴訟での経験の蓄積と医学知識の習得が実を結んだ結果でした。
茨城県内には、医療過誤訴訟を受任する弁護士が僅かであるため、当事務所への相談が最近富に急増しております。今後とも人的体制の整備と経験を重ね、医療過誤で被害を受けた患者や家族の皆さんの思いを受けとめ、その期待に答えられるようますます精進したいと考えております。
(弁護士 佐藤大志)